
200棟超の上越後古民家を移築してきた
丸山事業の知をご紹介します。
上越後古民家の構造面の主な特色
- 大黒柱、小黒柱を持たない
- おえ※1をしっかり固め、上部梁組を土間や座敷に飛ばしている。
- 土間では、その上部梁組を欅柱で受けている。
- 長い中梁として7間通し梁を2本配し、土間、おえ、座敷をつなぎ合わせている。
- 土間、おえ、座敷の境目には、二重梁(地震梁)を設けそれぞれの梁を挟み込んでいる。
- この二重梁のおかげで上越の古民家は、土間、おえ、座敷の境目で切り離しができる。
おえ…民家における戸口わきの部屋。京都などでは台所,秋田などでは客間を指す。おえ 意味 – おえ とは (ichacha.net)
上越後古民家の材の主な特徴
- 土台にあたる根固めは、一番太い材が使われている。
- 庄屋の館では欅が主に使われている。
- 庄屋以外の農家では、原則として屋敷の周りの材木を使うため材質は、さまざまである。
- リユース文化が存在し、空き家になった古民家の材を使い回した形跡が随所に観られる。例えば、土台に欅の尺寸角柱が使用されていたり、上部梁組に柱が使用されていたりする。
上越後古民家のその他の特色
- 融雪のため屋敷の北側に融雪溜めを作る
- 財力に応じた立派な土蔵を持つ
上越後古民家の地域別特色
上越後は旧西頚城郡、旧中頸城郡、旧東頚城郡の3地域に分かれる。
それぞれの地域内で古民家の構造が似ている。
それは各地域で師である親方が一名おり、その弟子がそれぞれの地域内で手法を伝授していたためと推察される。地域別の特色を以下に述べる。
旧西頚城郡
旧西頚城郡の古民家の特徴に、鉄砲梁(てっぽうばり)がある。
鉄砲梁とは、桁と本躯体をつなぐ梁に使われる独特な根曲がりの部材のことである。
根曲りは、山の斜面に育つ木が成長段階で雪の重みで曲がる。材質は、ブナ、杉が多く、名家の古民家では欅。欅などの堅木の根曲がりは非常に貴重である。山師が建築素材として北斜面に植えたとも言われている。
鉄砲梁以外は直線的な角梁を使う。
柱は主に7寸角の欅柱。
欅柱の数は、12~15本ある。一間ごとに柱を配し差鴨居は使わずに長押造り。鉄骨のような構造で天井部分の梁(キャクラ)には、尺5寸クラスの太い欅、ブナが横たわる。
高床式で平均1~1.2mは、土間から上がるのが特徴。
建物中央のおえは、3間x3間間が一般的。土間3間から3.5間、おえ3間、座敷2~3間で、奥行は4.5間が通常土間には2階があり薪や藁が貯蔵される。
塩の道の関係で、長野松本地方の天井の低い2階を持つ差鴨居造りの板屋建築も、まれに存在する。
旧中頚城郡
田畑に恵まれ、庄屋の古民家が多く存在する。多くは、差鴨居造りで柱は8寸角欅で本数は少なくその代わり3間通しの差し鴨居など豪快な差し造りとなっている。
おえは、3間x3間間か、3間x2.5間。土間は、通常3階があり、薪や藁の置き場となる。
おえの後ろの部屋には、中二階がある。
1階部分を差し造りでまとめた建物は、その分上部上材は、太い梁を井型に組み上げるように頑丈な造りとなる。上材梁のほとんどが松である。
土間3.5間、おえ3間、座敷3間が一般的造りで奥行は、ほとんど4.5間。
家主の生活階級で建物の大きさ。(中の間プラス2間)柱の太さ、差鴨居の大きさや数が変わる。
旧東頚城郡
旧東頚城は、豪雪地帯上越後の三地域のなかでも最も雪深い。
この地には中頸城と同じ構造の古民家が多いが、庄屋クラスの建物は間取りが異なる。おえの部分は、幅2間から2.5間x奥行4.5間通しの長方形になっており、長い面に向かい合うように差鴨居が並ぶ。
また2階建ても多くそのほとんどは、2階座敷になっている。
当然客間は2階にある。雪深いゆえに、2階から出入りと採光のためと考えられる。
2階建ての構造は、2階台と欅差鴨居が兼ねており、通常の差鴨居の倍の厚みがあるものが多い。
板屋根の屋根で上り梁を使った建物が多く、切妻屋根だが東組は少ない。上材梁には、落葉広葉樹の材木が多く使われ、総欅の建物も珍しくない。
十日町の古民家によくみられる特色は、妻入り玄関が多く、雪を避けるためである。
東南側玄関を配するため東(あずま)入りと言う。
通常茅葺古民家は、玄関は東か南側に屋根勾配方向に雪、雨を避ける切妻屋根の玄関を創り2階建てとする。
大きいものは、前中門、裏中門を配し、裏中門の角部屋には、女中部屋を設ける。
前中門に農作業の土間を(主に厩、牛小屋、厠)を設けたものには、曲り屋的な造りもある。
どちらもサイズは、土間3間から3.5間 おえは2~3間。座敷2~2.5間(プラス中の間2間)となる。奥行は、本屋敷は、4.5間大きくて5間となる。