
日本三大夜桜として有名な高田城下町にある茶室です。
(本サイトでは、安全性等の問題から、ご紹介させていただく古民家の住所や外観画像を、公開しません。)
高田城は、徳川家康の六男、松平忠輝の居城で、忠輝の舅伊達政宗を総監督として築城されたことで知られています。そんな由緒ある城下町の文化が400年の歴史を超えてこの茶室には受け継がれています。
明治時代、高田に女子教育を興した教育者が、自宅に茶室を設け学びの場とした歴史と想いの詰まった茶室です。造形美が随所にみられる素敵な邸宅の一角にある茶室は、ご一族の表千家の茶道の先生によって今も大切に維持されています。
庭の花香る中、茶室専用門をくぐり、茶庭へ進みます。

茶室へ向かう露地の左に蹲(つくばい)があります。
蹲で手を洗い、茶庭から茶室へ上がります。

廊下に上がると左側の下地窓が目に飛び込んできます。
通常の格子状の下地窓ではなく、一見ランダムに見える小舞のデザインが実はシンメトリーであることに気づき先人の美意識にハッとさせられます。
カットされた窓枠とその厚みからも当時の左官職人の技とデザインセンスがうかがえます。

上の下地窓と障子戸を挟んで右側には下の写真のような格子のます組板戸があります。

見渡すと茶室の北側と西側は寝殿造りの回遊式廊下のようになっており丸太の丸桁(がぎょう)によって囲われています。

北側です。天井の左端に丸太の丸桁が見られます。

西側です。こちらのほうが、丸太の丸桁の厚みが良くわかりますね。

障子戸を開け茶室に入ると左側の畳に炉が切られています。

炉の部分の畳を上げた中には炉と灰があり、新聞紙で包まれた蓋で大切に保管されていました。

竿縁天井の炉の真上部分に、茶釜を吊る蛭釘(ひるくぎ)があります。


天井から奥に目を向けると、左から床の間、床脇、水屋が目に入ります。
床の間の中央には竹細工の風雅な花入れが、左には書院の障子戸があります。

書院の障子の奥に隠れているのは美しい圓窓(えんそう)。

上の写真は撮影の都合上、圓窓の奥に畳を立てていますが、本来はそこから廊下が抜けて見えます。
廊下側からは下の写真のとおり美しく見えます。障子を閉めた状態のシルエットです。

床脇の銀に輝くきらびやかな天袋の上には金地に描かれた「和敬清寂」の書。
和敬清寂は、千利休の茶道の精神、境地を表した語です。主人と客が互いの心を和らげてつつしみ敬い、茶室の品々や雰囲気を清浄な状態に保つことを意味します。「和」「敬」は主客の心得、「清」「寂」は茶庭、茶室、茶器などに関する心得です。
室町以降の武家住宅の書院造の特色の一つである違い棚の筆返しも立派です。

天袋の手前には笹杢の鏡天井が美しく、大工さんの美意識が光ります。

床脇から視線を右に移すと、精巧な筬(おさ)と三重菱の組子の欄間が一対。ほかには見られないような繊細なこだわりがここにもちりばめられています。


全体を改めて図面においてみると下のようになります。
