
石目硝子とLEDバーライトで、
炎の美しさを表現
絶滅危惧状態にある伝統建築美の象徴「火灯窓」が新結合で蘇る
火灯窓(花頭窓、源氏窓とも呼ぶ)は、現在、一部の寺社や名城にしか残っていません。
一方、今でもすべての時代劇番組のすべての回に、100%漏れなく出てくるほど、百数十年前までは一般的なものでした。
時代劇番組を一話見るだけで、武家屋敷、寺社、料亭等さまざまな場面で、様々な大きさ、形状、色の火頭窓がその美しさを競い合うかのように次々と映し出されます。
日本の伝統建築において、窓というものが単に壁の内外を繋ぐ機能を持つ設備というよりも、美的表現の場となっていたことが分かります。
例えば「和の建築図案集」(藤井恵介著)という書籍だけでも21種の形状、10種の名称の火灯窓が紹介されています。

火灯窓以外にも、さらにデザイン性豊かな下地窓も併存していたことを考えると、窓だけをみても、日本の伝統建築の芸術性の凄さ(敢えてこの言葉を使います)を痛感せざるを得ません。
江戸時代には存在しなかった板ガラスが、1907年に日本で初めて窓に使用され、量産化、コストダウンのための標準化が進められました。さらに窓枠についても、木枠からアルミ枠への転換が進められたこと等により、大きさ、形状、色が多種多様で複雑で非効率な手作りの火灯窓の駆逐が、急激に進んだことは想像に難くありません。

承継樓では、火灯窓を消滅させる要因となったであろう板ガラスを、敢えて木枠の火灯窓と新結合させ、火灯窓の美しさを究極まで高めることに努めました。
アルミ枠の火灯窓を製造販売する企業もありますが、敢えて選択肢から外しました。
板ガラスには、玄関の外窓として耐え得る厚みがあり、燃える炎の揺らめきを更に美しく表現してくれるであろう石目硝子を使いました。
そしてその石目硝子は、元々この古民家に存在した硝子をアルミ枠から外して、リユースしたものです。



承継樓の火灯窓の創作過程
技能五輪日本一の実績を持つ棟梁は、いとも簡単に火灯窓を創作しました。
しかし、そんな超一流の棟梁にとっても、火灯窓の製作は初めての経験でした。
そしてそのことが、いかに火灯窓が絶滅危惧状態にあるのかを、教えてくれました。


